聖バレンタインデー

「今から全員にチョコ配るでー!」

バレンタインデーの朝、ホームルームが終わった瞬間にキツネ目の女子が立ち上がってそう叫んだ。

このキツネ目の女子は顔だけでいうとクラスのいわゆる「二軍」に所属するのが妥当な線なのだが持ち前の明るさと愛嬌とこういった思いがけない行動力にクラスメイトからそこに痺れられ憧れられ「一軍のムードメーカー」のポジションを実力で確立した女子だった。

そしてまさに今、このムードメーカーのおかげで教室をそれとなく支配していた『中学二年のバレンタインデーの朝』というデリケートな緊張感は叩き割われたのだった。

「なんでお前からもらわなあかんねん」

同じく一軍のハンサム男がそれを冷やかす。

「うるさい、ほれ、男子全員席に着いて」

みんなうだうだ文句を漏らしながら席に座り直した。

誰が見てるわけでもないのに僕も「やれやれだぜ」という演技をしてから席についた。

演技

そう

僕は、いや僕ら「二軍」の男子(後にイケてない男子という表記に変わる)はそれがたまらなく嬉しかった。

義理であろうがそれがチロルチョコであろうが「女子からチョコをもらった」ということは事実として受け止めれるわけだ。

本命のチョコを1とカウントするなら「義理」で「チロルチョコ」でおまけに「クラスメイト全員」への特典だったとしてもチョコはチョコなんだから0.1とカウントすることはできる。

「0ではない」ことが重要なのだ。

実際僕と同じ二軍のメンバーは全員誰に見せるわけでもない首をかしげる演技をしながらきちんと席に座り直していた。

きっと僕と同じ気持ちだ。

二軍で集まったときはこのキツネ目の女子を「ほんまはこっち側の人間やろ」と裏切り者扱いしていたが今日は違う。

天使、いや聖母だ。

「よーし、ほな配るでー!」

キツネ目のマリアが恵まれない男子に分け隔てることなくささやかな愛(チロルチョコ)を配っていく。

それをもらった二軍の男子はまた誰に見せるわけでもなく「あー、めんどくせ」という表情で受け取りながらも皆学ランの内ポケットに大切に保管していた。

どんどんと配られていくささやかな愛。

そしてもうすぐ僕の番。

ニヤけそうな顔をぐにゃりとこらえて僕も「めんどくせえ」の表情へトランスフォームした。

僕の前の席の一軍のお調子者のやつがチョコを受け取りいよいよ僕の番だ。

くるぞ。

にやけるな。

落ち着け。

めんどくさいぞ、めんどくさいんだぞ。

そう強く思いながらチョコを受け取るための左手をぎこちなく差し出さそうとしたその時。

「お前このチロルチョコちょっと溶けてるやんけ!」

前の席のお調子者が言った。

するとキツネ目のマリアはそちらに振り返り

「しゃあないやろ、ずっと手で持って配ってるんやから!」

と歩きながら反論した。

その振り返ってまま歩いたせいだろうか。

僕だけぬかされた。

再びマリアが顔を前に戻した時は僕の後ろの席の二軍の男子の前でまたそこからチョコを配り始めた。

こんなことがあるのか。

あっていいのか。

聖母の愛を唯一受け取れなかった。

「あれ?一個あまってるわ、まあええわ」

チョコを配り終えたキツネ目のマリアはやりきった表情でそう言った。

まあええことないやろ。

まあええわけないやろ。

「それ僕のチョコ!」なんて恥ずかしくて名乗りあげることなんてできるがわけないのだ。

持ち物検査をせよ。

汝、持ち物検査をせよ。

全員の内ポケット調べてみよ。

チョコが入っていない男が一人だけいるのだ。

マリアよ、ああマリア様よ!

キーンコーンカーンコーン

そんな僕の願いをかき消すかのように無情にも一時限目の到来をつげる鐘がなった。

その日は家に帰る前におばあちゃんの家に寄ってできるだけからいせんべいを食べた。

でんごんばん CIDER inc.