理髪店。
子供の頃、毎月通っていた(通わされていた)理髪店があった。
店の前には例の赤や青や白がぐるぐる周り続けている看板が置いてあって
壁にはジャンルでいったら刃物に分類されかねないほどの鋭利な7・3分けをしたカットモデルの白黒ブロマイドがたくさん貼られている。
家族で経営されているので髪を切るのは店のご主人、そしてあったかいおしぼりを運んだり床にたまった髪をわしゃわしゃとほうきで掃いていくのがその奥さんという
どこにでもあるいわゆる「町の理髪店」
腕前は確かだし家が近所ということもあり時々奥さんがお菓子を僕にくれたりした。
しかし僕はこの理髪店があまり好きでは無かった。
それは
店の待合スペースに置いてある漫画のラインナップが大人向けすぎること。
本棚の半分を占拠しているゴルゴ13
もう半分はヤクザ同士の組の抗争を描いた作品ばかり。
極めつけは置いていた週刊少年誌が
「ジャンプ」ではなく
「チャンピオン」であったこと。
今でこそ少年チャンピオンの面白さはわかるのだが時はジャンプ黄金期。
悟空や星矢やケンシロウ達が友情を繋ぎ努力を重ね正義を輝かせ一度見たら真似をせずにはいられないような派手な技で悪と戦っていく裏で
チャンピオンでは立原あゆみ先生の「本気(マジ)」が少年誌には珍しいほどの本格的な極道の世界を描いて同誌の看板をはっていた。
子供にとってこれは大きな問題であった。
しかし家から近いということもありご近所付き合いから他の理髪店に『浮気』することなど親が許さない。
そんな状況に耐えかねて「おっちゃん、なんか僕らが読めるような本も置いてえや」と一度だけ店の主人に直訴したことがあった。
その次の月、待合室の本棚には絵本の「かちかち山」が置かれてあった。
子供ながらの僕の怒りはたぬきの背中でごうごうと燃える薪木の如く燃え上がった。
「お母さん、今度髪切る時ちょっと店変えてもええか?」
「なんでやの?」
漫画のラインナップに不満があるなんて本当の理由は言えるわけもなく
「なんかこう、違うとこで切ったらどうなんのか思て」
「一緒やろ、どうせ同じ髪型にするんやから」
「い、一緒やったらもっと安いとこのほうがええんちゃうか?」
「あかん。ずっとあそこにお世話になってるんやから。だいたいそんな安い店なんてどこにあんのや」
「ほな探して安いとこ見つけたらそこで髪きってもええか?」
「しつこいな、あかんて」
交渉は不成立に終わったにも関わらず僕は次の日、学校でクラスのみんなの通っている理髪店をリサーチした。
その結果、いつもの理髪店より400円も安く、週刊少年ジャンプの最新刊を取り揃えさらにDr.スランプアラレちゃんを全巻コンプリートしているという夢のような理髪店があるとの情報を桐山君から手に入れる事ができた。
場所も自転車で15分。
これ以上ない条件をもとにその日の夜母親に60分に及ぶ再交渉をした。
「ほな一回だけ行ってみいや。お釣りはちゃんと返しや」
あまりのしつこさとプレゼン熱に負けて母親は観念してくれた。
次の日
学校から帰るとすぐさま母親にお金を預かり自転車にまたがってその理髪店に向かった。
その喜びと興奮はサドルの存在を真っ向から否定するかのような立ち漕ぎを生み、わずか10分で目的地である理髪店についた。
見た目はいつもの理髪店と大差ない佇まい。
しかし本棚のラインナップが全く違う。
噂のDr.スランプアラレちゃんはもちろん『リングにかけろ』や『プレイボール』など僕らより上の世代の名作まで取り揃えているという想像以上の充実っぷり。
年季の入ったソファが置かれた待合スペースには僕の前に三人の子供が待っていた。
「ちょっと待つことになるけどかまへんか?」
野球小僧の頭をバリカンで軽快に刈りながら店主のおじさんが僕に声をかけた。
「いつまででも待ちます。いや待たせてください。閉店までいさせてください」
そんな心境を隠しながら僕は小さくうなづいてDr.スランプの一巻に手を伸ばした。
しかし夢中になると時間は早く過ぎ去ってしまうもの。
「はーい、じゃあ君の番やしこっちおいでー」
体感では10分ほどだったが時計を見るとしっかり一時間以上が経過していた。
アラレちゃんとの付き合いもここまでか、、
心残り丸出しのさみしげな表情を浮かべコミックを本棚に戻そうとすると店主が言った。
「そんなに読みたいんならこっちで切られながら読んだらええで」
この人は神か。
こんなに子供心をわかってくれる大人がいるのか。
僕は眩しいほどの笑顔を見せてこの神に自分の髪を預けることにした。
再びアラレちゃんに夢中になること30分。
顔をあげるとぼさっとしていた髪がキレイにまとまっていた。
「もうすぐ仕上げるわな」
店主のその言葉がさみしかった。
「生えろ生えろ!ここからまた髪の毛ぼさっと生えろ!」
本気でそう思った。
その時であった。
ぢょきん
店主が僕のすらっとのびていた右のもみあげをハサミで一刀両断した。
何が起こったかわからず唖然とする僕。
仕上げ
これがこの店主の仕上げだった。
最後にもみあげをぢょきんと切って終わるらしい。
驚いた表情のまま固まってしまった僕。
その顔を見た店主は「あれ?やっちゃったかな」と瞬時に察知したのだろう
苦し紛れな一言を僕にかけた。
「ひ、ひ、左のもみあげはどうする?」
右を切り落としておいてのこの確認。
それでも僕はなぜかこれ以上のダメージを受けまいと
「の、残しといてください」
と消えいるような声で返事した。
出来上がったのは左だけもみあげがのびた時代を先取りしすぎのアシンメトリーヘアー。
真っ赤な顔をして家に帰れば母親にひとしきり笑われた後やはりしっかりと怒られそのままいつもの理髪店に連れて行かれた。
「ここでしか髪切ったらあかんてわかったやろ」
威圧感たっぷりにそう言う母親の横で、僕は悔し涙を流しながらかちかち山を読んだのであった。