すき焼き弁当
最終の新幹線に乗って新大阪から東京に向かっていた時のこと。
京都から乗り込んできたその男性は小包みを大事そうに持ちながら僕の斜め前の席に座りました。
年の頃は60歳ぐらいか。
身長も僕と同じぐらいで、その世代にしては立派な体格のこの男性は背もたれを倒すことなく背筋を一直線に伸ばしテーブルを出してそこに小包を置きました。
斜め後から見ててもわかるのはこの男性がとにかく『上機嫌』だということ。
鼻歌が聞こえてきそうな軽快な仕草で蝶々結びされていた小包の布をさらりとほどきました。
中から現れたのはお上品でかわいらしいお重です。
男性は手を何度か摺り合わせると大事そうに両手でそのお重の蓋を開きました。
すき焼き弁当です。
駅で売っているレベルではないことが明らかな輝かしいすき焼き弁当。
割り下の染み込んだ肉の甘い香りがすぐさま僕の鼻もとまで届いてきました。
どこかの料亭で持ち帰りしたのでしょうか。
なるほど上機嫌なわけです。
両手をぱしっと合わせて笑い皺たっぷりの目を閉じて男性はいただきますをしました。
そして勢いよく箸を割った
その時です。
パチンッと箸が割れた瞬間に勢い余って両足の膝でテーブルを下からつきあげてしまい
すき焼き弁当は
無残にも新幹線の床にまあまあの勢いで落下しました。
最悪な事に
『うつ伏せ』で着地しています。
「あ」
他人である僕が思わず声を出してしまいました。
あまりの事に顔を手で覆いかくし動かなくなった男性。
拾おうともしません。
いや、できないのでしょう。
ショックで体が動かないようでした。
見ていた僕ですらかける言葉も見つからないのですから本人の衝撃は想像を絶するものだったのでしょう。
しばらくすると女性の客室乗務員がやってきて『うつ伏せ』のそれを見て瞬時に状況を察知したようで思わず「お、お客様!」と声をあげました。
「お客様、まもなくワゴン販売が参ります。お弁当もございますので…」
何を言われようと両手で顔を覆ったまま下を向いている男性。
「お客様、とりあえずこれは処分させてもらってよろしいでしょうか?」
男性はその姿勢のまま答えました
「…ちょっと今わかりません」
結局品川まで突っ伏したままでした。
失礼なんですが
かわいく見えました。