18歳の頃京都から大阪に出てきました。
初めての一人暮らし。
田舎ものの僕は大阪の地理を知らずどこに住んでいいかわかりませんでした。
しかし「来年大阪駅の近くに吉本の新しい劇場ができるらしい」という噂が流れ、探すと確かに「吉本建設予定地」と表記された看板を掲げる工事現場を発見。「どうせ住むなら劇場から近い方が便利だ」とまだ養成所の生徒のくせにその場所の近くに住む事を決めました。
(数年後、その場所には『吉本工務店』という全くお笑いとは関係ない普通の会社がそびえ立つ事を、当時の川島は知る由もありませんでした)
住んだのは木綿豆腐みたいな3階建ての雑居ビル。
その2階。
しかも1階は居酒屋。
6畳ワンルームで日当たりゼロ、ユニットバスで家賃は31500円。
それでも初めての一人暮らし、僕にとっては楽園。
たまに変な動物がチョロチョロと窓の外を走って行きましたが浮かれてる僕にとってはそれもシルバニアファミリー。
ここから始まる芸人人生に胸躍らせていました。
しかし冬。
一階が居酒屋のため忘年会シーズンは大変です。
毎日どこかの企業の一年を締めくくる乾杯を強制的に聞かされます。
床がウェハースなのかと疑うぐらいドンチャン騒ぎの音は毎夜僕の部屋までお届けされました。
最後は必ず「バンザーイ!バンザーイ!」の大合唱で締めくくるおじさん達。
これは嫌でした。
テレビを見てても突然「バンザーイ!」
女の子を家に招いて緊張しながらキスした時も「バンザーイ!」
寝てても「バンザーイ!」のアラーム。しかも酔ったおじさん方は時間を空けて何度もバンザイをしたがるものでこのアラームはご丁寧にスヌーズ機能付きでした。
一週間ロケで家を空けて、帰ってきた時は驚愕しました。
一階の居酒屋が二階にまで浸食して来てたのです。
僕は202号室に住んでいたのですが201と203が下の居酒屋の個室になっていました。
オセロなら僕の部屋も居酒屋になる状況。
実際ネタ合わせしてる時に突然扉が開いて威勢のいい店員が
「オマッシャッター!ナマィーデェェシ!(お待たせしました!生ビールです!)」と入ってきた事もありました。
住んで5年目のある日、ロケで家に中川家さんが来ました。
家に入るなり剛さんに「これ人が住むとこちゃう!お前ゆっくり死ぬで」
と言われ、この「ゆっくり」の部分が怖くて次の日に引っ越しを決めました。
おかげでゆっくり生きてます。

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