スーツ
漫才をする時は必ずスーツを着ます。
スーツに着替えると鎧を身にまとったような安心感が出てきてどっしりと構える事ができます。
逆にいえばスーツを着ないで漫才をするというのは銃弾の飛び交う戦地を裸にバスタオル一枚で駆け抜けていくようなものです。
なのでどんな状況でもスーツを着るようにしています。
昔神戸の須磨海岸で漫才をした時もそうでした。
その日は記録的な猛暑に見舞われた日、しかも舞台は砂浜に簡易に建てられた特設ステージ。
太陽がジリジリと照りつける、そんな中でも僕は真っ黒なスーツに身を包み舞台に出て行きました。
もはやリゾート地に現れた殺し屋です
しかし漫才中はめったに汗をかかないのでそんなに苦になりませんでした。
それより辛かったのは声がお客さんに聞こえていない事。
何せ広い野外なのでマイクを通しスピーカーから出てる音が上にぬけていってしまい、砂浜に集まったたくさんのお客さんに僕らの声がほとんど届かないのです。
それでも一生懸命漫才をし、かなりの苦戦を強いられながらもなんとか15分の漫才出番を終えました。
(終わった時の相方は暑さからくる乾燥と元々の色黒も手伝って『酢こんぶ』そっくりでした)
僕らの次の出番は千鳥でした。
アロハシャツを着た大悟とノブがステージに飛び出していきます。
しかし僕とは対照的に大悟はかなりの多汗症。
ただでさえ汗かきなのにさらなる灼熱に襲われたため、大悟はマイクの前に到着した時点で顔をニスでコーティングしてるのかというぐらい汗だくでした。
それでも頑張って漫才をするもお客さんに声が届かない。
その焦りからかさらに滝の如く流れ出る汗、濡れ続ける顔。
アンパンマンなら即死レベルです。
しかし大悟はお客さんの反応が無い中でも漫才を熱演していました。
汗が目に入るのか、何度も何度も額の汗を手でぬぐいながらようやくオチにさしかかったその時です。
砂浜から一人の女性が立ち上がってこう叫びました。
「泣かないで!」
なんと、あまりにも顔の汗をぬぐう大悟が離れた客席からは漫才がウケなくて号泣しているように見えたのです。
「え?いや…」と大悟が弁解しようとしましたが時すでに遅し。
他のお客さんも立ち上がり
「頑張れ!」
「泣くな泣くな!」
「やりきれ!」
と次々に立ち上がり出す始末。
漫才が終わると砂浜はスタンディングオベーション。
恥ずかしさで大悟の汗は暫く止まりませんでした。