メガネ
小学5年生の頃
なぜか無性にメガネが欲しくなりました。
視力が悪かったのは勿論なのですがそれ以上にメガネをかけている友達が知的で格好よく見えたので自分もそうなりたいと思っていました。
母親に頼みましたが
「メガネなんかに頼らなくても大丈夫。とりあえず緑を見なさい」
と全く相手にしてもらえませんでした。
それもそのはず
今でこそ手軽な値段で買えるメガネですが当時はフレームとレンズを合わせると3万円はかかってしまう高級品だったからです。
しかし一度欲しいと思ってしまうと子供というのはなかなか諦めれないもの。
なんとか母親にメガネを買ってもらえないかと思考を巡らせていました。
そんなある日、授業参観が行われることを知りました。
これは願ってもないチャンス。
授業中に『黒板の字が見えなくてとても困っている』アピールを実際に母親に見てもらう事で
「あんなにもつらい思いをしていたのね、知らなかったわ。今すぐメガネ買うわ」
という展開に持っていく事ができるからです。
そして授業参観の日がやってきました。
母親も予定通りきちんと来てくれました。
授業が始まると同時に僕の視力悪いアピールもスタート。
目を極限まで細めたり突然見開いたり、それに伴って口まで大きくあけたり首を伸ばしてかしげたりととにかく全身を使って見えないアピールを敢行しました。
チラッと母親の方を見ればかなり心配そうに僕を見守っています。
効いてる効いてる
視力悪いアピールが効いてる。
それに気をよくした僕はさらに顔を歪ませ授業が終わるまでの間必死にアピールをやりきりました。
家に帰れば母親が心配そうに尋ねてきました。
「明は授業中いつもあんなんなんか?」
確実に困ってるのが伝わってます。
「うん、そやなあ。つらいわあ」
心の中でガッツポーズをしながらも顔では暗い表情を演技していました。
「わかった、次の日曜にちょっといこか」
やりました。
メガネを買ってもらえる。
必死のアピールが実を結んだのです。
しかし日曜日
僕が連れていかれたのは
寺
でした。
「あんたなんかおかしいわ、ちょっと知り合いの人に見てもらおな」
過剰なほどの視力悪いアピールは見えない何かに取り憑かれているとの誤解を招いてしまったのでした。